昨年12月26日に菊竹先生が83歳で亡くなった。
追悼式を桜咲くこの時期、母校の大隈講堂で行なうとの案内で上京した。 その前にとスカイハウスとアトリエを見に行った。 恥ずかしながらまだ実際に見たことが無かった。 建物のある文京区は桜が満開を過ぎ、道の端には花びらが貯まっていた。 辺りは創建当時の開かれた爽やかな斜面ではなく、ぎっしりとマンションと住宅で埋まっている。 スカイハウスは氏が30歳の若さで挑んだ実験住宅で、誰もが衝撃を受け時代を揺るがした作品である。 すでに53年が経ち、何回かの増改築がなされていたが、揺るぎないりりしさである。 まさに「メタボリズム」である。 生活や時代に合わせての「更新」は使いながら作り続けていて、どの時点でも美しく完結しているのである。 そして手入れもなされていて大切に使われていたことが伺えた。 しかし今日は特別にも主のいない住まいが取り残されているようで、どこか寂しさが漂っていた。 駆けつけた講堂はほぼ満席となった。 壇上には在りし日の氏の笑顔と共にいくつもの映像が映し出された。 日本の建築も文化も創造と模倣の間が良く、「何々風」とか「調」とかいうものづくりをしていて、 無名性の中で「良いものは良い。」とした伝統がある、 世界にはないすばらしいものだと。 また「か・かた・かたち・」のこと、スカイハウスへの思い、仕事へのひたむきな姿勢、 メタボリズムから海上都市、建築と文化、この仕事のすばらしさも語られた。 仙田満氏、川添登氏、穂積先生の後に、菊竹事務所卒業生の代表で伊東豊雄氏が語られた。 近くで見ていたものだけが感じた氏の本当の思いの数々を。 丹下を中心としたエリートのプロ集団とは違う、いわば甲子園の球児のような仲間たちが集まったこと。 一つのプロジェクトは200ものアイデアから収斂して建築になっていったこと。 数寄屋に対する民家の様な建築とも。 遺影の柔和な表情の奥にある現代を見据えた「怒り」までをも。 その後、全員の献花で2時間ほどの集いは終わった。 日々の仕事に忙殺される中で、先人が心血を注いだお陰で今自分があることと。 そして建築家の原点を確認する機会となった。
by kawakamisekkei
| 2012-04-13 14:27
| あれこれ
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